本当に数学は難しいのだろうか

中学生や高校生に限らず、世間の多くの人たちが「数学は難しいもの」だと信じています。特に高校数学は難攻不落の要塞のごとく捉えられており、地方の名門6年制私立の生徒たちでさえ、その習得に苦労しているのが通例です。でも、本当に数学は難しいのでしょうか。例えば、高校数学には何百もの公式が出てきますが、それらを全部丸暗記せよと言われたら、私だってたじろいてしまいます。でも、実はそれらの公式は全く覚える必要はないんです。なぜなら、全部自分で作れるんですから。

数学に限らず多くの理系科目は(原則的に言えば、文系科目の一部でさえ)、ごくわずかな原理原則さえきちんと理解してしまえば、後はそこから全てを演繹的に導くことが出来ます。だから、覚えることなんてほとんどありません。「えっ、本当なの? そんなこと信じられない」って言葉が聞こえてきそうですね。では、その証拠をお見せしましょう。

 高田6年制で最下位付近から上位へ

昨年4月、1人の高田6年制の4年生になったばかりの生徒が私どもの塾にやってきました。1学期の中間テストが終わって、成績個表を出すように言っても、のらりくらりとして結局出さずに済ませてしまいました。おそらく相当出来が悪かったのでしょう。そうこうしている間に、今度は期末テストの時期がやってきました。今度こそ出してもらわなきゃと思って、厳しく注意したら、ようやく出してくれたのが下の成績個表です。う~ん、確かに良くはありませんね。校内偏差値が両方とも30台ですが低い方は36で、これは100人中95番程度の成績に相当します。200人いたら190番ですね。でも、私どもの生徒で入塾時の成績がこれくらいの生徒は沢山います。

では、次の資料を見てもらいましょう。これは入塾して10か月後の今年1月に行われたアドバンス模試の成績ですが、既に校内偏差値は10ポイント以上アップした52.8となり、学年順位は188人中61番に達しています。

更にそれからおよそ半年後の今年6月に行われた第1回高2駿台全国模試では、校内偏差値は入塾当初から20ポイントほどもアップした58.1に達し、学年順位は何と141人中30番となりました。この順位だと、もはや彼はかつてのような劣等生ではなく、高田6年制の上位陣の1人となったと言っても過言ではありません。

松高1年生で数学トップになった入塾5年目の〇〇君

青木塾の成果は、これだけではありません。次の資料は青木塾歴5年目の現在松高理数科1年に所属する某君の1学期の成績ですが、中間・期末とも2科目総合で200点満点中191点をとり、学年偏差値も楽々70をオーバーしています。

学年16番からトップになった三重高6年制1年の〇〇さん

現在、三重高6年制の高1に所属する○○さんは、中3のときに青木塾に入塾しました。入塾当初の学力推移調査における数学の学年順位は16番でしたが、今回の1学期期末テストの数​Ⅰでは学年トップになりました。16番からトップって大したことないと思う人もいるかも知れませんが、上位陣の競争はとても熾烈で、わずか2,3番でも順位が入れ替わることは大変なことなんですよ。

青木塾は、小学生や中学生の頃に入塾する生徒が多く、分かり易く質の高い教育を何年も受け続けた結果、中学を卒業する頃には驚くほど高い基礎学力を備えていることも珍しくありません。今春高校生になったばかりの下の資料の3名も、そんな高い基礎学力を持った青木塾生たちです。特にA 君(仮名)は、小6の時に青木塾の中学クラスで英語と数学の勉強をスタートし、現在、既に高3生のクラスで難解な理系数学を学んでいます。青木塾なら公立中学に通っていても、都会の私立6年制並の教育を受けることが可能です。

塾長から生徒の皆さん、保護者の皆さんへ

今春、松高理数科を卒業し、名古屋大学工学部に合格したY君が入試の合格報告をするために親子で挨拶に来てくれた際、Y君のお母さんの勤め先の同僚の方から「どこの塾に行ってたの」と聞かれ、「青木塾です」と答えたら、「ええっ、青木塾なの。あそこの塾は難しいから、うちの子には無理だわ」と言われたと伺いました。困ったなあ。これじゃ、うちの塾にやって来る生徒がいなくなってしまいます。何でこんな噂が一人歩きしているんだろう。
実は、青木塾にやって来る子たちは、そのほとんどが普通の子たちなんですよ。いや、むしろ学校の勉強が分からなくて困っていた子たちが大半なんです。例えば、昨年、京都大学に合格した松高出身のM 君は、高校に通っていた頃、数学が大の苦手で、現役時代に受けた共通テストでは平均程度の点数しか取れず、2次試験も々な成績で、結果的に数学が出来ずに入試に落ち、不合格の通知をもらってすぐに青木塾にやって来たのですが、入塾後、高1から高3までの全ての授業を受け、秋の模試では苦手だった数学で最高のA 評価が出、2次試験本番でも前年の3倍の点数を取って、見事に第一志望の大学に合格したわけで、最初から出来ていたわけじゃなかったんです。また、上述のY 君だって、高3の定期テストこそ、数学2科目で200 点満点中185 点を取って学年トップ、校内偏差値75.8 を取ったものの、高校入学後、最初の中間テストでは学年順位が50 番台に過ぎず、学年偏差値も50 台で、周囲にはもっと出来る子が沢山いたんです。​ そうです。青木塾にやって来る子で、最初から出来ていた子はほとんどいません。ですから、「青木塾はレベルが高すぎて、うちの子には無理だわ」なんて考えないで下さい。きちんと人の言うことを聞くことが出来て、真面目に学習に取り組める子なら、きっと青木塾で伸びるはずです。

上の写真は2018年春、国立大学医学部医学科に合格した3名の青木塾生の合格をお祝いする昼食会の際に撮影した写真です。昼食会には上述の3名以外に2名の研修医と医学部に在学中の卒業生も1名かけつけてくれました。​ 先日、過去30年の記録を調べてみたら確認できただけで28名の医師、および医学部生が誕生していました。(※古い資料が残っていないため、あくまでも確認出来た分だけで、浪人等を経て医学部に入った卒業生については、把握出来ていない可能性があります。)卒業生の面々には、香川大学医学部小児科准教授のK医師、松阪中央病院循環器内科のG医師、市立四日市病院耳鼻咽喉科のS医師、紀南病院のS医師、伊勢赤十字病院のK医師、松阪中央総合病院外科のF医師、桑名市総合医療センター脳神経内科のM医師、基礎医学の研究者のO医師(※残念ながら現在の所属が分かりません。)、桑名総合医療センターの研修医Mさん(※2015年の資料)、公益法人甲南会甲南病院形成外科のO医師、兵庫県災害医療センター救急部のM医師、四日市羽津医療センター消化器内科のO医師、兵庫県立こども病院外科のF医師、三重大学医学部付属病院内科のN医師、大同病院外科のF医師、大分県立病院小児科のI医師、IVFなんばクリニックのT医師、高知県大井田病院麻酔科のN医師、日本赤十字愛知医療センター名古屋第一病院産婦人科のK医師、千葉大学医学部の研修医T医師、三重大学医学部の医学生K君、三重大学医学部の医学部生Sさん、名古屋市立大学医学部の医学部生M君、三重大学医学部の医学部生M君、三重大学医学部の医学部生Nさん、三重大学医学部の医学部生Nさん(※前述のNさんとは別人)、三重大学医学部の医学部生Sさん、M医師(※調べてみましたが、残念ながら所属が分かりません。)等がいます。

あのリーマン・ブラザーズに内定していた青木塾の卒業生

皆さん、「リーマン・ショック」という言葉を知っていますか。リーマン・ショックとは、学校の教科書にも載っているほどの歴史的大事件で、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが2008年9月15日、総額6000億ドル超(現在の為替レートだと約90兆円に相当します。)という史上最大規模の負債を抱えて倒産し、世界経済に甚大な影響を与えた出来事を指します。当時、ゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザーズといった大手投資銀行の名前がしょっちゅうメディアを賑わし、これらの投資銀行は世界中の名門大学卒業生が目指す就職先の筆頭に位置していました。実は、当塾の卒業生が2008年の初頭にそのリーマン・ブラザーズに就職が内定していたのです。「本当なの?」と思うかも知れませんが、勿論、本当です。下にあるのが当塾の卒業生がリーマン・ブラザーズに就職が内定したときの通知です。これは、ある意味で歴史的資料と言えるかも知れません。